天気がよかったので、竹採公園に
出かけてきました。
古くから、かぐや姫の物語はよく知られています。平安時代の初期の物語で、現在残っている物語の中では、最も古い物語と言われています。
全国には「かぐや姫伝説」の伝わる地がいくつもあり、この竹採公園もその一つです。伝わる物語も、地域により似た部分や異なった部分があり、調べてみるとなかなか面白いようです。
竹採公園は静岡県富士市の比奈にあります。この公園には、竹採姫と刻まれた自然石の塚があり、古くから翁と姫が住んでいたと伝えれれています。
駐車場正面の右側の垣根は、
こんな風に青々とした生きた
ハチクを組み合わせてできて
います。
駐車場から中に入って、左側にある
トイレと休憩所。
休憩所の中には、周辺ウォーキングコースや
この公園関係の情報が貼られています。
これは、「尾形月耕」作の浮世絵、
「浮世十二月」です。
明治23年作(1890年)で、
今は富士市立博物館に展示されて
います。
入り口正面左側にあり、この地に伝わる
かぐや姫伝説について書かれている木の
看板です。
ちょっと長いのですが、この地に伝わるかぐや姫伝説を説明しておきます。
延暦年中(782〜805)、この籠畑の地に翁夫婦が住んでいました。翁は籠を作りそれを売って生活していたので、作竹翁(さくたけのおきな)あるいは、寒竹翁(かんちくのおきな)と呼ばれていたそうです。
ある日のこと、翁は竹の中から一寸余の少女を授かりました。育つほどに美しさを増し、無双の美女に育ち、「かぐや姫」と名づけられました。このことを知った国司が、珍しい宝物を持ってかぐや姫を招きましたが、かぐや姫は国司の求めには応じませんでした。このため、国司はかぐや姫のもとに押しかけ、数年をともに暮らしました。
ある日、かぐや姫は、富士山の仙洞に帰りたいと願い出ましたが国司はそれを許しませんでした。しかし、かぐや姫は国司に一つの箱を残して去って行きました。
これを悲しんだ国司は、富士山の頂に登りました。そこには大池があり、そのなかに宮殿が建っていました。その宮殿から出てきたかぐや姫は、もはや人間ではなく天女になっていて、その容顔はこれまでとは全く異なっていました。
その姿を見た国司は悲しみの余り、かぐや姫の残した箱を抱えて大池に身を投げて死んでしまったということです。
この竹採公園のある比奈という地名は、奈良時代の「和名抄」にある「姫名郷」に関わるものだといわれています。なんとなく、物語発祥の地という雰囲気がありますね。
公園の中には、歩道が作られていて、5分から10分程度で1周できるようになっています。
ここから竹採姫の塚に向かいます。
これが竹採塚です。
人の頭より少し大きい程度の石の塚です。
歩道を歩いていくと公園の一番高いところには物語に出てくる池に見立てた「大池」が作られていました。
水はありません。
水の代わりに細かな砂利が敷かれています。
ここに伝わる、物語を思い浮かべながら公園を1周まわって帰ります。
出口はもう目の前です。
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